書評「ワガババ介護日誌」

 門野晴子著 海竜社 1,470円

1998・1・16 第一刷

松岡町立図書館 (916・カ)

「介護はセックスと同様、やったものにしかわからない。触れあう肌のコミュニケーション、究極の人間関係の醍醐味、引きずり込まれるような疲労感、断ち切れぬくされ縁」と、にやっとする言葉の連続ではじまる本書は日経新聞に連載されていたもので、毎週読むのを楽しみにしていたものであるが、単行本となって改めてまとめて読み直しても、その軽妙なタッチの味は変わらない。

「介護」というと“暗い”あるいはある種の“はりつめた”イメージがあり、ちょっと手にとって読んでみようかという気になかなかならないものであるが、本書は介護の問題点を鋭く抉り出してはいるものの、「ゴーツク婆」と「私」と「娘」との単純かつ複雑でしかも深刻な掛け合いを実にあっけらかんと、しかもかなりわさびのきいた文章にしており、どんどんと面白く読み進んでいける。題材は今現在の日本の介護であるが、その“精神”は30年後の未来の日本の介護(新ゴールドプランや介護保険がうまく機能したとして)を扱っているようでもある。

「家族復活の声はますます大きくなり、女よ家庭に帰れ、介護にいそしめ、とジワジワと外堀を埋められておる。女をバカにするな、という私の講演を聴いた後で、杉並区の女性が寄ってきて言った。『でもね門野さん。私も十年間姑を介護しましたが、いっぱい得るものがあって人間的に成長できましたよ。』だからどうした、バーカ。人間的に成長した女がわざわざ私にそんなこと言うかァ。」

「プロの他人に見てもらうよさは、うちのゴーツク婆さんですら地を出さぬどころか、ヘルパーさんたちには敬語で話しているから、私は耳を疑うこともしばしばある。…母はますます私のいたらなさを感じるようになるらしい。」

「日本の車椅子を押す家族の光景はウルワシイのではなく、社会としてハズカシイ光景なのだ…道路を幾度も掘り返してはでこぼこを作っている…道路とは掘るものではなく、歩けるように平らにするものだろうが。」

「やりすぎを当たり前だと思わされ、もっとしなければと思わされる無気味な力も、高齢社会のファシズム……医学の力でまたまたゾンビのようによみがえった母は、再び薬を飲むのもいい加減になり、傲然と言い放った。 『私はチャランポランな性格だから長生きしていられるんだよ』 いい加減は元気の証し」辛口の批評がつづき、仕事がら耳の痛い表現もあるが、一読を進めたい。

ついでにひとこと。本書は日経の文化面の連載記事で、不確かな記憶では例の渡辺淳一の「失楽園」とほほ同じ時期に連載されていたようである。日経のトップ記事は観測記事が多くあまり当てにならないが、文化面はこうした読みがいのある文も多く、けっこういい。